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2号墓

ドキュメント内 浦添市文化財調査報告書 | 浦添市 (ページ 51-56)

第4章  調査の成果

第2節  2号墓

(1)遺構(第14図・第15図、図版4・5)

 2号墓は、調査区北端近くの丘陵頂上付近の斜面部に位置する墓遺構群の一つで、西側に向かって急 に傾斜する斜面に構築された墓遺構である。周辺一帯は丘陵頂上から一様に急斜面を呈するが、わずか に存在する平坦面に墓庭および墓口を形成し、斜面を掘り込むことで利用を可能にしているものとみら れる。

 2号墓は前田・経塚近世墓群の中では稀な構造を有する遺構である。墓庭・墓口・羨道・墓室にかけ て、石灰岩の切石を積み上げて構築された壁面が検出された。墓庭及び墓室の床面には石が敷かれてい ないものの、奥壁に1段設けられている棚については表面に石張りがなされている。石灰岩は人頭大の ものから一抱え以上の大きさのものまで様々な大きさを組み合わせて積んでおり、石と石の間に隙間が 存在する箇所も多くみられる。また、壁面の最上段とみられる石の墓室側の縁に他の石を組み合わせる ための凹面が形成されている構造が、左右の壁面の一部にそれぞれ同じレベルで存在している様子が見 てとれる。墓室内部にも石灰岩の切石が堆積した状態で検出されており、これらと併せて考えると、天 井にも石灰岩が張られていた可能性が想定される。墓室床面を除く墓内部の表面をすべて切石で覆われ た遺構という意味でニービないしクチャの地山を掘り込んで構築することを基本とする前田・経塚近世 墓群において特異な墓であるといえる。

 本遺構は石積みによって構築された遺構の検出状況の記録保存を行った後、積まれた石を取り外しな がらセクションおよび掘形の様子を確認したところ、以下のような構造的特徴を有することが確認され た。①石積みに用いられた石灰岩は表面に露出する側のみを面取、②切石と地山の間は礫とニービによ る裏込、③奥壁に沿って構築された棚の内部は礫による裏込、④それぞれの壁面の石積み同士は互いに かみ合わない、⑤最下段の石積みと地山との間には盛土層が存在、といった点である。これらのことか ら、本遺構の造営過程を推測すると、まずニービの地山を掘り込み、大まかに成形したのちに、数㎝の 盛土を行うことで床面が構築された。その後に墓室奥壁に石を積み上げ裏込を行い、次いで左右の壁面 を、奥壁同様に石積みを施したものと考えらえる。さらに墓口側壁面および羨道・墓口の石積み、棚の 構築を行ったことがうかがえるが、両者の作業順は遺構の形状から確定することは難しい。

 墓室の内部には多量の蔵骨器の破片が堆積して出土した。表土を除去すると残存している石積みによ り墓室のプランを検出することができ、墓室中央に向かってくぼんだ状態で遺構覆土が埋没する様子を 窺うことができた。遺構覆土は大きく2層に分けられ、造盛土により貼られた床面直上に約10㎝程度の 厚みをもつ無遺物の堆積層と、その上に多量の遺物を含む堆積層がある。当該層には、高密度で蔵骨器 の破片が堆積していた。大半が細かく割れていたことから、墓室内に設置されていた蔵骨器が、埋没に 際して割れたものとは考え難く、割れた破片が堆積した可能性が高いと思われる。

 堆積層を全て取り除くと、造成された床面の直上で墓室シルヒラシ中央部に塼に乗せられた状態で残 存する蔵骨器が検出された。蔵骨器は底部のみが残存する状態であったが、塼に設置した状態であった ことから、原位置を保っているものと判断し、蔵骨器1として取り上げた。蔵骨器内には細片の人骨が 残存していることも確認されている。

 出土した蔵骨器片は、完形に復元可能なものは無いものの、いずれもマンガン釉甕形に分類されるも のであった。同様に破片ではあるものの、読み取ることのできた銘書からは光緒から大正までの文字を 読み取ることができた。これらのことから、本墓の営為は近世末から近代が中心であったのではないか

と想定される。

(2)遺物(第16図、図版35・36)

 前述のとおり、本遺構内の堆積層からは多量の蔵骨器片等が出土しており、その数量と内訳について は第3表に示した。これらの蔵骨器片の接合を試みたところ、細片が多いことからも完形まで復元でき たものは無かったが、前述の墓室中央で塼に乗せられていた蔵骨器の底部について、比較的全体形を窺 うことができる状態まで復元することができたため実測し、図に示した。

 第16図1はマンガン釉甕形蔵骨器の身である。完形までの復元には至らなかったものの、かろうじ て残存していた口縁部は、外反しており、口唇部は内側に向けてやや傾斜する様子を窺うことができ る。屋門はアーチ形の貼り付けであるが、頂部は欠損しており玉飾りの有無は不明である。胴部の文様 を認識することは難しいが、線彫りで描かれていたことが窺われる。横帯は2が突帯である以外は凹線 が配されており、これらのことから本資料は安里編年(1997)における第Ⅴ期のものと位置付けられ よう。外面には全体にマンガン釉が施される一方、内面は露胎するが、釉の飛沫が付着している様子が 観察される。

 蔵骨器に比べると、陶磁器類などそれ以外の遺物は少数で、わずかに図化可能であった瓶1点と金属 製の煙管の吸口1点を、ここでは示した(第16図)。

 第16図2は、沖縄産施釉陶器の瓶である。口縁部は欠損するが、高台及び畳付を除き、全体に黒褐 色釉が施される。文様は見られないが、露胎している高台外面に2条の沈線が廻る様子をうかがうこと ができる。

 第16図3は、金属製の煙管の吸口である。全体がほぼ緑錆で覆われていることから青銅製であると 思われ、内部には羅宇が残存する。羅宇接続部付近に溝状の間隙が観察され、製作時のつなぎ目に当た るものではないかと推測される。

第5表 2号墓出土陶磁器観察表

第6表 2号墓出土煙管観察表

図番号 出土地点 器形 残存

部位 口径 器高 底径 施釉 釉色

・色調 貫入 文様等 備考 第 16

図 2 覆土 頸部~

底部 6.3

外面に全体に褐釉。底面は施釉され るが、高台および畳付は露胎。

内面は頸部中央まで施釉。

黒褐色 なし なし 口縁欠損

図番号

図版番号 出土地点 種別 材質

計測値(㎝ / g)

長さ 火皿径 立ち上が 備考

羅宇接続

部径 吸口径 重量

第 16 図 3

図版 36-1 墓室 吸口 金属製 1.0 0.8 8.0

EL=102.00 EL=102.00 EL=103.00

EL=104.00 EL=105.00

EL=103.00 EL=104.00 EL=105.00

X:26147.000

Y:22351.000

X:26144.000

Y:22351.000 Y:22357.000

X:26144.000

X:26147.000

Y:22357.000

第14図 2号墓遺物出土状況平面図・立面図

A'A

B'B

EL=102.50 EL=103.50 EL=104.50

B' EL=102.50 EL=103.50 EL=104.50B

EL=102.50 EL=103.50 EL=104.50

EL=102.50 EL=103.50 EL=104.50

C C'

C C'

A'

A EL=102.50EL=103.50EL=103.50 EL=102.50

第15図 2号墓遺構平面図・断面図

(3)銘書

 本遺構から出土した蔵骨器片のうち11点の蓋に銘書の残存を観察することができたものの、いずれ も破片であることから、図化までには至らなかった。

(4)人骨

 人骨は蔵骨器1の底部にわずかに残存していたもの及び墓室に堆積していた遺物包含層中から人骨片 が出土したものを一括して取り上げたものである。観察したところ成人2体・未成人3体分が少なくと も存在することが窺われた。詳細については第6章に記載する。

第16図 2号墓出土遺物 蔵骨器1

1

2

3

S=1/60

0 1m

Y:22356.000 X:26141.000

X:26138.000

Y:22356.000

X:26138.000

Y:22353.000

X:26141.000 Y:22353.000

EL=103.00

EL=102.00

EL=103.00

EL=102.00

EL=102.00 EL=103.00

EL=102.00A' EL=103.00 A

B'

AA'

B

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